イドゥンの林檎

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主にヴァンガード等、TCGの最新情報に関する雑記を綴るブログです

【戦国恋姫オンライン〜奥宴新史〜】「メイドさんのいる夢」終了後雑感&「遠征イベント」所感

戦国恋姫 奥宴新史の初イベント「メイドさんのいる夢」が終了しました。

内容はアレでしたが、とりあえず目標の2000位以内には無事滑り込めました。

そこそこに時間とコストをかけてこの程度の順位なので、もう二度とこの手のイベントはやりたくないです。

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自身の意思が一切介在する余地がなく、ランダムに割り振られる赤青黄の三軍何処に所属するかで有利不利が決まり、塔に引き続いてのやった者勝ちのシステム、β版の名に恥じぬグダグダっぷりが酷かった国盗りも大概でしたが、メイドイベントも個人的にはかなり萎える内容でした。

幾つか列挙しましょう。 

不満点

①システム

特攻キャラを編成してランキングイベントを戦おうと言うスマホゲー黎明期どころか、媒体が携帯電話の時代の遺物ではないかと思えるような古臭いシステム。

及びその企画を通してしまう組織体制にはある種の畏怖を感じています。

 

まぁ日本は高齢化社会、超高齢化社会となって随分経ちますからね。

会社にも新しい風が入るようなことは稀有なのでしょう。

私達が産まれる遥か以前から社会に出て20年前、30年前に新人だった方々が、未だに下っ端のまま時代の流れに取り残されている事に気付く事もなく若い頃の感覚で企画会議をしているのかと思うと涙が出てきますね。

悲しい事です。

 

②ボックスガチャ

ボックスガチャそのものには不満はないのですが、中身がいただけない。

 

ダルイ思いをして走った報酬が、ハズレ枠とは言え★1、★2の鍛錬書や鉱石では走る甲斐がありません。

★の低い鉱石は金銭効率が悪く、無駄に銭を失うので極力使いたくはありませんし、鍛錬書★1も★1武将を1冊でMaxまで持っていけないので強化費用が嵩み無駄が多く、あまり使い道がありません。

特に鍛錬書は周回を重ねるとキャラ所持数を圧迫して邪魔でした。

せめて他のアイテム同様、プレゼントに隔離して置いて欲しかったです。

こういう小さな操作性の悪さが幾つもあるので、それを助長すると言う意味合いでも最悪でした。

 

キャラを取り切って以降はボックスガチャなのに、全部引き切らなくてはリセットできない所もケチ臭く感じてマイナスです。

おにぎりと石を取ったら、もうそのボックスに用はないんだよ。

それポイして、新しいの持ってこようねー?

 

③ストーリー

こう言うゲームのイベントストーリーはメインストーリーに比べると自由度が高く、本編とは違ってギャグ寄りの展開になる事が多く楽しみにしていたのですが、期待外れの出来でした。

 

一部のキャラクターがメイド服を着ている夢を見たと言う、タイトル通りの内容をほぼそのままやっているので盛り上がりどころがまるでありません。

1話の尺が短いせいかストーリー上で登場するキャラ数を絞っている割には個々の掘り下げも薄く、無味乾燥。

味のないガムを噛み続ける心地です。

メインストーリーはこれから盛り上がる可能性があるので現状イマイチでも妥協できますが、先のない完結式のイベントストーリーでこれはちょっと…。

 

運営の「オタクはメイド服きせときゃ喜ぶんだろ」と言う、あるかどうかも分からない心の声が聞こえてくるかのようです。

イラストは良かったしメイド服が悪いわけでは無いのですが、安直な感じがします。

 

「遠征」イベント

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初期に選出したメンバーを使用し、マップを進行していくイベントですね。

ストーリーも何もないので最初は何処にいて何の為に何処に向かっているのか全くわかりませんが、マップに深い意味があるわけでもないので普通にゴールを目指せば良いようです。

 

駒落ちさえしなければHPをどれだけ削っても問題なく、然程難易度も高くないのに極意の絵巻★5と15000の石が貰えるのは美味しいですね。

 

ただ寄り道をすればするほどスタミナ効率が悪くなり、ボスと戦う程に損をするので周回はしない方が良さそうです。

スタミナ効率を確認するため数回無駄に戦ってしまって若干後悔しています。

20もスタミナ支払って6000程度の銭と、★2程度の訓練書を貰っても嬉しくも何ともありません。

 

今週はこれだけのようなので御守りを掘ったり、塔の★を埋めたり、ストーリーを埋めたりできそうですね。

そもそも何故新章をメイドイベントと同時に出したのだろう。

太古の昔にはそう言う形式が流行っていたのだろうか?